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O Dia do
Milagre (奇蹟の日) 〜'04.10.11 ジョアン・ジルベルト東京公演〜
僕はそうとりたててジョアンオタクというわけではない。
彼の来日公演の曲目リストを見てもすぐにメロディを思い出せるものの方が少ないくらいである。
そして恥ずかしながら2003年の初来日公演は見逃してしまっている。
そんな僕ですら思わず涙し、戦慄し、そして恍惚となった10月11日の最終公演について
自分なりにどう感じたかを思い出せる限り並べてみたい。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
新幹線で東京入りした後、久しくおじゃましていなかった東十条の楽器卸店マルメラアダさんに
ご挨拶に伺ったあと、会場である東京国際フォーラムには念のため16:00(開場時間)に到着した。
ここは東京駅から歩いて10分ほどのところにあるので、地方遠征者には大変ありがたい。
会場前で音楽ライターのWillie Whopperさんらと合流し、近くの「Fruta
Fruta」で
話題沸騰のアサイージュースを飲む。最近お疲れモードの僕にはぴったりのようだ。
ぜひFruta Frutaさんには名古屋進出をお願いしたいところである。
会場に戻り、グッズコーナーでパンフレットを1冊、そして自分用にカーキ色のジョアンTシャツを購入。
Willieさん達と一旦分かれ、自分の席に着く。今回は幸運に恵まれ1階12列目という大変良い
ポジションのチケットを入手することができた。そこでしばらくパンフレット(関係者の思いがこもった
掛け値なしに素晴らしい内容です。弊店にてご自由にご覧になれますのでご来店の折には是非ご一読
下さい)に目を通していると、誰かが隣の席に座った。お互い「どこかで見たことあるな」という顔である。
シンガーソングライターのヒガシノリュウイチロウさんであった。偶然の再会を喜び合い、
ひとしきりジョアンのギターがらみの話などしながら時間をつぶす。そうこうしているうちに
気が付けば周りは関係者というか知った顔ぶればかり(こらえる笑い)という状態になっていた。
自社サイトで連日ジョアン公演の模様を怒涛の勢い・濃さ・熱さでレポートして下さっている
アルテニアの中原仁さんも到着。もちろんこの時点ですでに開演予定時間の17:00は過ぎている。
さあ、「聖ジョアン祭」の最終日は無事執り行われるのだろうか。
※註:ここで中原さんの手による曲目リスト(ARTENIAサイト掲載)を別途立ち上げておかれることをおすすめ致します。
http://www.artenia.co.jp/
(「REC&REP」のコーナーをご参照下さい)
17:20を回った頃だっただろうか、会場の照明が落ち始めた。場内にどよめきが起こる。え。うそ。まさか。
アナウンスが流れ、もう間もなくジョアンその人がステージに姿を現す瞬間が近づいている
ことを実感する。こんなに早くていいのだろうか?なんだか定刻を待たずに始められてしまうような
そんな錯覚・違和感があった。
そういうこちらサイドの思惑をよそに、遂にその人は現れた。
何事もなく、ややゆっくりした歩みで。
ステージ中央近くで一旦立ち止まり、軽く、何度も、観客に向かっておじぎをするジョアン。
万来の拍手である。みんなこの瞬間を待ちわびていた。
5,000人以上を収容するという巨大なホールを包むこの親密な空気はどうだ。
何よりジョアン本人が既にもう嬉しそうにしているのが伝わってくるではないか。
彼は早く聴衆に彼の歌と演奏を聴いてもらいたくて仕方がないように見えた。
そしておもむろにギターを爪弾き、O pato が始まった・・・。
耳を凝らす限り、まだ声とギターのノリがばっちりシンクロしてはいないようだが、
当のジョアンはしょっぱなからやる気満々で飛ばしているようだ。
ギターはまごうことなきDi
GiorgioのTarrega。ヘッドだけが現行モデルと異なる。
ヒガシノさんに双眼鏡をお借りして凝視したところ、ずいぶんボディはくたびれていた。
ボディは経年変化でこれ以上染まりようがないくらいの赤を発色していたし、
サウンドホール周りのロゼッタは剥げ落ち、ブリッジ部で大きく縦に亀裂が見える。
それでも25年にわたり使い続けているのは何故だろう。
彼から30mと離れていないような場所に自分がいて、彼が歌い弾くのを目の当たりにしている。
その幸運にただただ感謝した。
噂の「変奏曲風・ボンファに捧ぐ」が早くも2曲目で登場し、5曲目の
Bolinha de papel あたりでは
もう完全にメーターがパワーバンドに入った。歌も演奏も、敢えてこの表現を使わせていただくが、
もう本当に「ノリノリ」なのである。
我が目を疑ったのだが、ジョアンは演奏しながら「踊る」。
頭をふんふんと横に振ったり、脚をカパッカパッと広げては閉じ、そのユーモラスな
しぐさがたまらなく愛おしい。
そしてとうとう〜あまりの伝聞の広まりゆえか既に定例行事と化した感がある〜
あのフリーズドタイムがやおら突然に訪れた。
初めのうちは手を組みかえるなどしていたが、やがて身じろぎ一つしなくなってしまった。
本当に固まっている。
他の会場でのエピソードを知ってか知らずか、今日の拍手は
「拍手は手短に終わらせて演奏を再開してもらおう」派と、
「こんなに素晴らしい歌と演奏を聴かせてもろたんじゃけんなんぼでも拍手しちゃらい」派に
分かれ、双方のせめぎ合いでなかなか拍手が途切れなかったように思う。
そうこうするうちに係員がジェスチュアで「拍手をお控え下さい」を観客に伝えながら
通路をかがみこんだ苦しい姿勢で動き回り(お疲れ様でした)、その甲斐あってか
拍手がまばらになり、それが消えると神様は覚醒した。
そして再び何事もなかったかのように演奏を再開するのであった。
聞いたことのない曲も多かったが、いつの間にかそれは「どこかで聞いたことのある曲」に
変わっていく。例えようのない心地よさ。何曲目かで僕は自然に涙がにじんできていたと思う。
曲を聴きながら、白昼夢(時間的にはもう夜だけど)を見てしまう。
ジョアンがその夢に登場する。しかし今ジョアンはステージで歌っているのもわかるし、見える。
我に返るが次の曲も、その次の曲も、何度も何度も夢に似た感覚がやってくる。
疲れているせいではない。
もう僕はジョアンの魔法にかかってしまっている。
そしてそれは1stステージの締めの曲、僕の大好きな「白と黒のポートレート」が終わるまで
ずっと続いた。
ここまで何曲演奏したのかは数えていなかったが(ARTENIAの中原仁さんのリポートによると18曲)、
やはりアンコールは期待してしまうもの。拍手を続けていたがすぐにジョアンはステージに再び
戻ってきた。当然、嵐のような拍手・声援が湧き起こる。
だが、席に着いたジョアンはか細い声でつぶやいた。英語で。たぶんこんな感じだったように記憶している。
「Everything is good, but air conditioner, compalative not, than before...」
つまり前(昨年のことか、それとも昨日までの公演のことかは不明)に比べ、
空調の影響でノドの調子が狂いつつある、ということを観客に伝えていたのだろう。
渋い表情のジョアンはそれでも Aguas de março
を弾き始めたが、やはり
歌いにくそうにしており、時々声がかすれたりひっくり返ったりするようになった。
それまで親密さに溢れていた観客席の空気がたちまち不安と心配に変わり始める。
これはおそらく他の観客も同じ感想だったに違いない。
神様に見えたジョアンが、徐々に衰えを見せる初老のギター弾きになっていくような・・・。
魔法が解けた。
しかしそんな状況もはねのけ、演奏を続けるうちに、気がつくと驚くべきことにジョアンは再びボルテージを
取り戻しつつあるようだった。そしてドリヴァル・カイミの Milagre(海の奇蹟)
で僕の全身が総毛立つ。
さらに名曲 Insensatez
で僕は恍惚のあまり声をあげて嘆息してしまったように記憶している。
多少思い入れが強すぎるようだが、ジョアン本人は空調のことについて、クレームとしてではなく
「もっともっと歌いたいから、ベストのコンディションで歌わせてくれ」と訴えているようだった。
とりわけ「neste momento」、今のこの時間だけでいいから、「please...」、お願いだから、という言葉は胸に染みた。
(無粋な説明になってしまうが、恐らくそれはエアコンの仕業ではなく、換気口から場内に流れ込んでくる
冷気だったのではないだろうか。それだけ空調を完全にストップさせた会場の中と、
冷房を効かせまくった場外との間にはかなりの温度差があったのだろう。ここまで完璧な仕事を果たしてきた
スタッフがまさか最終日になって空調オンなどという凡ミスを犯すことなどありえないから)
そしてアンコールの最後は Desafinado
で締められた。ジョアンは何巡も何巡もフレーズを繰り返し、
こちらの気が遠くなるまで、優しく丁寧に歌い演奏した。ジョアンも名残り惜しいのだろうか・・・。
そして長い長いアンコールが終わり、両手が腫れ上がるくらいの拍手が湧き起こる。
神様がゆっくりとステージを去っていく。
後ろを振り向けばスタンディングオベーション。演者と観客との心の交歓に胸が熱くなる。
と、あっさり舞台袖からひょこひょことまたあの人が・・・!
うそっ!!
会場の1人残らずそう声をあげたに違いない。
神様、再登壇。
観客席に何度も何度も深くゆっくりとおじぎを重ねる。
そして信じがたい2度目のアンコールが始まった。
後のことはもうあまりの夢心地と、恥ずかしながら集中力の低下のため記憶が定かでない。
ただ途中の Estate
を聴きながら僕の顔はくしゃくしゃになっていた(と思う)し、そのあと突然
「Japão...meu coração...」と即興歌が飛び出した時は何が起こったのか理解できなかった。
そして終盤に歌った「...a noite...」とひときわ切なげに歌い続けた1曲で
僕はわけもわからず泣いていた。
(後になって知人から「そりゃ『Foi a noite』だがね!(私が観た)大阪は
そんなんやってくれへんかったでね!」と憮然とした口調で教えて下さった。
彼は気の毒なくらい悔しがり、そして落ち込んでいた・・・)
やがて最後に Isto aqui o que é、それに Aquarela do
Brasil を何度もフレーズを繰り返しながら
最初のアンコールと同様、別れを惜しむかのように優しく歌い続け、
とうとう奇蹟の時間は終わりを告げたのである。
再び割れんばかりの拍手。歓喜と感謝の涙が迸っているような、手と手を打ち合う音。
もう誰も座ったままの人はいない。
時計は21:00をとうに過ぎていた。
演奏時間、3時間45分。
演奏曲数、45曲。
恐らく地方からわざわざジョアン詣でに東京まで来られたのだろう、
そして最終の新幹線までもう時間がないのだろう、脱兎のごとく会場を後にする人達が多数。
ああ、ホテル予約しておいて良かったと胸を撫で下ろしつつ、
場内に残された我々は茫然自失で言葉を掛け合った。
すごかったっすね・・・
信じられん・・・
もう死んでもいい・・・
やがて緊張の糸が解けた我々は
「じゃ、そろそろ」「出ますか」
と、ぞろぞろと会場を後にした。
言うまでもなく、打ち上げのための飲み屋はどこもオーダーストップの時間になっていた・・・。
さて。
ジョアンは2005年も来るだろうか。
来るに決まっている。来てもらわなければ困る。
これは「聖ジョアン祭」なのだから。祭りは毎年あるものだ。
そしてジョアンが「もう私は日本なしでは生きられない」と語ったように、
僕等もまたジョアンなしでは生きられないのだろうから。
あの短い短い歌が今もかすかにこだまする。
「Japão...meu coração...」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
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