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【その1 出自・ド・ゼジ】

店主ゼジは愛媛県松山市の生まれです。高校卒業まで松山で暮らしておりました。

時間の流れがゆったりとした、街全体が良い意味で悠長な、今にして思えばとてもホッとするところです。

高校卒業後、大阪外国語大学という、大阪のヒトに「ナニワの北海道」と笑われる箕面市(みのおし)にある学校で

ポルトガル語を専攻しました。ついでに言うと、大学の所在地は箕面市のヒトに「箕面の北海道」と笑われて

いました。立つ瀬がありません。でもまあかなり辺境の地であったことは確かです。

 

「なんでまたポルトガル語を?」今でもよく訊かれます。

大学お受験に向け、英語がわりかし得意だった店主は、早くから外国語系の公立大学に進むことを決めていました。

が、いかんせん偏差値の問題が立ちはだかります。

当時の花形といえば「英語」「ドイツ語」「フランス語」「イスパニア語」「中国語」あたりで、このへんは

さすがに偏差値が高く、当時の店主の実力ではとうてい無理なレベルにありました。

そこで要領だけは人一倍いい店主、多少考えました。

「偏差値がもう少し低めで、将来役に立ちそうで、でもアジア系のニョロニョロ文字はイヤだから

アルファベット系の言語はないか、ないか、ないか・・・」

ありました。

それがポルトガル語だったのです。

天然資源が豊富で、移民の歴史があり、なんとなく日本ともつながりがありそうな、「そんな気がする」的

かつ短絡的な発想でしたが、何より子供の頃から鳥獣虫魚が大好きで、図鑑を手放さなかった店主は南米アマゾンに

傾倒していたことから心を少し揺さぶられ、さらには店主の憧れのスポーツ、そう、

「小学2年生の頃、新品道具を一通り揃えながらも1ヶ月も経たぬうちにスクールを辞めた」サッカーが

めちゃめちゃ強い国ブラジル、その国の公用語であるという

これまた全く何の根拠もない「自分とのつながり」を感じたことが最大の要因でした。

血が出そうなくらいに思いっきり「思い込み」の世界ですが、振り返ってよくよく考えてみると

これまでの我が人生の中で最も偉大なる人生の選択だったような気がしています。殊勲賞。

 

大学ではあまり(というかほとんど)勉強しませんでした。軽音楽部でバンドやったり、ファミコン(のちパソコン)ゲームに

狂ったり、いかにも地方から出てきた大学生によくある放蕩生活を漫然と送っていました。

(なんとか「レーダーにも引っ掛からない超低空飛行的成績」で卒業することができましたが・・・)

大学の時には欧米のロックばかり聴いていました。

ブラジル音楽に触れたのは確か大学3年の時に、「やっぱ知らんままっちゅうのは恥ずかしいよな」という後ろ向きな理由で

梅田のレンタルCD屋さんでカエターノ・ヴェローゾの「フェラ・フェリーダ(邦題)」やミルトン・ナシメントの

「ミルトンス(今も廃盤のまま!)」を借りて聴いたのが始まりです。よくそんなのがレンタル屋に置いてあった

もんだと今にして感嘆しますが、さすが大阪の中心部というべきでしょう。

カエターノは随所に抗い難い妖しさを感じ取ることはできたものの、かなりとっつきにくかった印象が

あります。反対にミルトンの、こう、ある種宗教的な声は大変衝撃的で、繰り返し聴いたものです。

 

それからほどなくして、同期のポル語生にしてクラブメイトの友人に、「なにわのブラジル」こと

カイピリーニャに連れて行ってもらう機会に恵まれました。当時肥後橋にあり(つまり初代カイピリーニャ)、

初めて入った瞬間、興奮というか懐かしさというか、何とも言えない気持ちになったことを覚えています。

ずっと探していた場所を見つけたといった感じに近いような。

そう、ここでカイピ&ミドリさんはじめ、常連客の皆さんからサンバを手ほどきしてもらったのが

店主ゼジのサンバ原体験なのです。

あまりお金はありませんでしたが、時間とフトコロに余裕が出来ると、土曜の夜に箕面から肥後橋に

繰り出し、パゴーヂのライヴを観て踊ったり、先輩客たちと談笑したりするのが何よりの楽しみに

なっていきました。下手糞なガンザをちょこっと振るだけでシアワセな、けっこう純な青年だったのかも。

そういえば傍らの電話口で(当時はまだ携帯電話というものはなかった)「はいっ、アイルトン・セ中原です」と

あの中原仁さんが恐るべきダジャレを飛ばしていたなんて光景を目にしたこともありましたね。

 

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